ブルーザー・ブロディ

1973年にアメリカでデビューし、全日本・新日本でも大活躍したレスラー、ブルーザ―・ブロディ。
何と、それ以前に所属していたアメフトチームの後輩チームメイトに、スタン・ハンセンが居たそうです。
ハンセン、ブロディの名コンビ「超獣コンビ」が既にこの頃から(笑)。
全日時代は、そのハンセンとのコンビが特に印象に残っています。
新日と全日の外国人レスラー引き抜き合戦がありましたが、新日本には1985年に参戦しました。
新日ではジミースヌーカとのタッグも良かったですが、シングル戦が充実していてアントニオ猪木とは10戦もしています。
そのジミースヌーカとのタッグでIWGPタッグリーグに出場しましたが、決勝戦をボイコットし、新日本を追放されてしまいます。
その後せっかく和解したのに、翌年に新日本マットに上がる予定もまたドタキャン。
そのシリーズでは、VSアンドレやVS前田も組まれていたというのだから、それが実現しなかったのは非常に残念な限りです。
1988年、ホセ・ゴンザレスに刺され、亡くなってしまいましたが、あの惨事が無ければどんな名勝負がその後も生まれていたでしょうか。
悔やまれます。

前田日明の新日提携時代

第一期UWFの崩壊から、再び新日本マットに戻ってきたUWF勢。
リーダーとしての役目を担った前田選手は、明から本名の日明となり、UWF立ち上げ以前に新日に挙がっていた頃とは比較にならない程の存在感を発していました。
Uターン直後は新日勢とのスタイルの違いから、なかなか噛み合わなかった様な事が前田日明の「パワーオブドリーム」に書かれていましたが、その後は慣れて来たのか、「結構普通にプロレスやってるな」という感じもします。
決して悪い意味ではなく、UWFとしての誇りを保ちながらもプロレスの試合として成立させる為に、プロとしての仕事をしていると思うのです。
前田・高田組VSケンドーナガサキ・ミスターポーゴ組の試合では、前田が椅子まで持ち出しています。
また、巨体のクラッシャーバンバンビガロにスモールパッケージで丸め込まれてまさかの3カウントを奪われるなど、意外なピンフォール負けもありました。
セメントマッチとなったアンドレ戦がどうしても有名ですが、結構信頼関係のあるいい試合が多かったと思います。
IWGPリーグ戦での藤波戦など、受けた藤波も凄く、本当の名勝負でした。

T.N.T

テコンドーを下地にしている、珍しいレスラー、TNT選手。サビオ・ベガという名前で、どうやら今でも現役の様です。
1985年のデビュー後、ミスター・ポーゴとのタッグでWWC世界タッグ王者を獲得したり、全日本でブッチャーと組んだり、新日本ではムタとの一度だけでしたがタッグを組み、かなり活躍していました。
切れ味鋭いキックが特徴で、逆に言うとそれだけで試合を組み立ててしまうところが凄い。
新日時代も、その軽快な動きに注目するファンは多かった筈です。
トリッキーでフットワークが軽く、どこかコミカルな感じがするレスラーです。

マスクド・スーパースター

1970年代から活躍したマスクド・スーパースター。
あまりにも有名な選手の為、彼が後にマシン軍団入りして「スーパーマシーン」としてアンドレとタッグを組んでいたり、アメリカマットでデモリッション・アックスになっていた事を、不覚にも知りませんでした。
特にデモリッションズはリアルタイムでも見ていましたが、マスクマンではなくペイント系レスラーだったので、まさかマスクド・スーパースターと同一人物だったとは・・・
デモリッションズはあの時点で既にベテランだった選手とは思えない様な、軽やかな動きをしていました。
新日本では、長いことアンドレ、マードックに次ぐ外国人レスラーNO・3の座でした。
スーパースターにしても、スーパーマシーンにしても、デモリッションにしても、ミステリアスな印象が強いです。
高さのあるバックブリーカー系の技が、その身体に絶妙にマッチしていて素晴らしいレスラーです。
レジェンドとして、数年前にもタッグで藤波や藤原と対戦する等、元気なところを見せてくれています。
今はアンドレもマードックも亡く、当時の新日を知る数少ない外国人レスラーの一人なので、長生きして頂きたいものです。

飯塚高史

現在はスキンヘッドにし、凶悪なヒールとしてリングに上がる飯塚選手。
元はサンボの経験を積み、実力派ながら野上とのタッグJJジャックスでピンクのコスチュームをまとい、アイドル路線の時代を経て、長く中堅レスラーとして地味に試合をしていました。
2000年に村上和成をスリーパーホールドで仕留めると、「魔性のスリーパー」と呼ばれ一躍脚光を浴びますが、翌年に長井満也との試合で首を骨折、長期欠場を余儀なくされたのは不運としか言いようがありません。
その後は天山との友情タッグ~突然の裏切りでヒール転向、そして現在の様なスタイルになっています。
ブリザードスープレックス等、怪我以降はやはりあまりできないのでしょうか。
ブレイクした頃と今はあまりにもファイトスタイルが違いますが、忠実にヒールをこなす飯塚選手。
プロ意識を強く感じさせます。

中邑真輔

2002年に新日本プロレス入団し、同年に安田を相手にデビューした中邑選手。
早くから格闘路線との両立をしており、デビュー戦後はLA道場で総合格闘技のトレーニングを積みました。
当時の新日本はプロレスとVS総合格闘技という二本の柱があり、格闘センスのある中邑選手は期待されていた様です。
総合初挑戦はダニエル・グレーシーに敗れましたが、二戦目はジャイアント・ノルキアに勝利します。
そしてプロレスの方ではデビュー最速の1年4か月で天山からIWGPを奪取、と目覚ましい活躍をします。
その後ヒールに転向したり紆余曲折がありながらも、現在は少しくだけた感じのキャラとなっています。
顔面や後頭部に膝をたたき込むボマイエは、迫力充分!
今後も新日のトップレスラーとして、活躍して欲しい選手です。

スタン・ハンセン

日本で最も成功したと言われる外国人レスラーの1人、スタン・ハンセン。
デビューは1973年とのこと。
2年後には全日本プロレスに参戦し、ザ・デストロイヤーとセミファイナルで対戦しています。
今では多くの選手が使う様になったラリアットも、ハンセン選手のウェスタン・ラリアットが基盤になっています。
新日本にも参戦していましたが、アントニオ猪木からピンフォール勝ちを奪うなど、その活躍ぶりは第一線でした。
伝説に残る選手です。

越中詩郎

1978年に全日本プロレス入門し、1985年に新日本に移籍した越中選手。
後に率いる平成維新軍での活躍は大きなものでしたが、それ以前は更に輝いていました。
全日本時代に、三沢を破ってルー・テーズ杯に優勝。
新日では旧UWFから戻ってきていた高田延彦との死闘の数々。
名勝負数え唄です。
ここまではジュニアヘビーだったのですが、1990年代からはヘビー級として活躍しています。
相手の顔面に臀部をたたきつけるヒップアタックは、完全に越中選手のオリジナル。
やろうと思えば誰でもできる技ですが、越中選手以外は使わないところに大変な意義があると感じます。

アブドラーザ・ブッチャー

1960年代から活躍した大ヒール、ブッチャー。
日本では1970年代から全日や新日で大暴れしました。
隠し持った凶器で相手を流血させ、地獄突きなどの空手殺法から、「毒針エルボー」と表現されたエルボー・ドロップでとどめを刺すという、定番スタイルはスリリングです。
ヒールレスラーには良い人が多いですが、このブッチャーも多くのレスラーから慕われ、普段はとてもジェントルマンなのも好感が持てます。
WWE殿堂に迎えられた際にプレゼンターを務めたのが、かつてのライバルで何度も出血させられたテリーファンク、というのは大変粋な話だと思いました。

橋本 真也

1984年に新日本プロレスに入団し、わずか5ヶ月後に後藤達俊戦でデビュー。
闘魂三銃士の一人として、大活躍した橋本選手。
スーパーヘヴィー級のガタイから繰り出される、重厚感溢れるキックやDDT、迫力がありました。
橋本選手の人生を大きく左右したのは、なんと言っても小川直也でしょう。
最初の対戦では売り出し役として負けブックを飲み、IWGPを賭けた再戦で勝利。
3戦目で小川が仕掛けたセメントによって、橋本のレスラー人生は本人の意図しない方向に動いていきます。
4戦目で負け、「負けたら即引退」の5戦目でも負け、その後のZEROーONE立ち上げ、小川との共闘、ハッスルと、不運にもめげず新たなレスラー人生を突っ走りました。
2005年の彼の突然の死に、声を失いました。
太く短く生きた40年、橋本選手の魂は多くの選手に、そして息子の大地選手に受け継がれています。